心房細動の手術を経験し、生活の見直しを決意!~私の病気との付き合い方~

心房細動の手術を経験し、生活の見直しを決意!~私の病気との付き合い方~

三遊亭 小遊三(さんゆうてい・こゆうざ)さん
落語家

どのような症状があったのですか?

駅の階段をのぼっているときに息切れするようになったので、おかしいなと思うようになったのがきっかけです。それで主治医(の先生)に入念に調べてもらったところ、「間違いなく心房細動です」との診断でした。以前から心臓の具合がよくない(不整脈がある)といわれていたのですが、自分では気になる症状はなかったので、病院から足が遠のいていたんですよね。でも、4年前に息切れがして病院にかかったところ、心房細動とわかったわけです。治療には「薬を飲み続けるか」「カテーテルアブレーション手術を受けるか」という2つの選択肢があると説明されましたが、歳も歳なので、思い切ってアブレーション手術を選び、2016年に手術を受けたんです。

手術を受けることに不安はありませんでした?

それが、まったくなかったですね。手術中は、私は気を失って寝ているだけだし(笑)。
入院は2泊3日でしたが、入院しているという感じではなかったですね。何も不自由なことはないし、だいたい仕事しているより楽だもの。まあ、ずっと寝ていたから腰が痛くなったりはしましたけど。

手術後の感想はいかがですか? 症状は改善されましたか?

ガラッと変わりましたよ。駅の階段をのぼってもまったく息切れしないんだもの。階段をのぼりながら、「ああ、手術前はこのあたりからもう苦しかったんだよなぁ」としみじみしたりしてね。
でも、手術後しばらくは調子がよかったのですが、数年後、また駅の階段で息切れするようになったんです。おまけに、脈も飛ぶようになった。「これはおかしいぞ」と思って、病院で検査を受けたら、「再発です」といわれてしまって…。そこで、2020年7月にもう一度カテーテルアブレーション手術を受けたら、またよくなっちゃった。駅の階段がのぼれるようになって、脈もちゃんと打つようになって、また元通りですよ。
最初に手術を受けたときは、たまたま仕事に空きがあったので、仕事に穴をあけることもなかったんです。でも、今回はコロナ禍で仕事が全部キャンセルになっていたから、何の心配もなく3泊4日きちんと入院しました。

心房細動が再発した原因として、思い当ることはあったのでしょうか?

先生の話では、飲酒が原因のひとつらしいです。私は若いころから毎日3合くらい飲んでいて、時には1升飲んでしまうことも―。そんな生活をずっと続けてきたんです。また、仕事がら移動が多いので、帰りの新幹線で乾き物をつまみに飲むのも好きでね。実は1回目の手術の後、先生に飲酒の習慣を改めるよういわれていたんです。「飲むなとはいわないけれど、少量にしてください」と。でも、少量でやめられなくて、結局、同じくらい飲んでしまっていた。そうしたら再発しちゃったわけです。
さすがに、これで飲み続けるようなら“しょうがない奴”になっちゃうと思い、がんばりましたよ。退院後しばらくは、一滴も飲まなかった。なのに、かみさんが夕食のときに缶ビールを出してきて。きっと、自分だけ飲むのは後ろめたかったんだろうね(笑)。ということで、いまは夕食に缶ビール1本だけ飲んでいます。

食事で気をつけていることはありますか?

かみさんが減塩の食事を作ってくれています。先生に注意されたわけではないけど、高齢で高血圧の人には、塩辛いものがよくないことは当たり前ですからね。私もかみさんも意識しているから、もう味噌汁なんてかなり薄いですよ。
最近は夕食は午後7時に食べ始めます。缶ビール1本とおかずだけ。以前は、酒を何杯も飲みながら食べていたので夕食に何時間もかかっていたのが、今は7時半には食べ終わる。その後は、翌朝8時ごろまで何も食べないから、約12時間断食していることになります。
続けてみると、これが調子がいい。体重も落ちて、40代の頃の体重に戻りましたよ。いまとなっては、「どうしてずっと酒を飲み続けていたんだろう」「腹いっぱいになるまで食べ続けていたんだろう」と。おかずと缶ビール1本、お茶を飲んでおなかいっぱいになっちゃうんだもの。

運動は何かしていますか?

ウォーキングは嫌いだから、家でできる柔軟体操や筋トレを少しやっています。以前は、いざ始めると学生時代の部活の記憶がよみがえって、柔軟体操で開脚をしすぎて内股を痛めたり、ぶら下がり健康器で肩を痛めたりしてね。トレーニングするのに「どっこいしょ」といっているような人が、急にそんなハードな運動をしちゃいけないよね。やっぱり無理は禁物(笑)。だから、いまは無理のない柔軟体操と、スクワット30回、マシンを使った腹筋50回を毎日やっています。

学生時代から卓球を続けていらっしゃいますよね。

兄と姉が卓球をやっていたので自然と私もやるようになりました。当時、日本の卓球は世界チャンピオンを輩出するレベルで、新聞の扱いも大きかったんですよ。中学、高校と卓球部で、大学でも少しやりました。いまも卓球を続けているけど、ただ好きだからやっているだけ。「よくこれだけやってうまくならねぇな」と自分でも感心しちゃうよね(笑)。最近はあまり試合に出ようと思っていないけど、試合は勝っても負けても楽しいもんです。


東京卓球選手権大会にて
(写真提供:株式会社タマス)

病気とうまくつきあうコツは何でしょうか?

食事も運動も習慣にしてしまえば、何てことはないです。薬も降圧剤と血液サラサラの薬(抗血栓薬)を飲んでいますが、食事をしたら飲む習慣にしているので、飲み忘れもないかな。あと、自覚症状があったら、すぐお医者さんに相談すること。私の場合は、息切れがする、心臓がドキドキする、脈が飛ぶとかね。症状がなければ、気に病んでも仕方ない。“心配しすぎないこと” も大切だね。

健康のためには「笑う」ということも大切ですよね。

笑いは人間に備わっている能力ですが、笑うというのは大変なことですよ。私らでも、気づくと「そういや3日笑ってねぇや」ということがある。でも、人は笑おうと思って笑えるものではない。笑いについて、故・桂枝雀師匠が『緊張の緩和』といっています。つまり、人は緊張が緩和したときにおかしさが出るということだね。私らの寄席に来るお客さんには2種類のタイプがいて、当たり前のように笑う人と、緊張した面持ちの人がいるんですよ。後者の人が、落語を聞いているうちにじわじわときて、最後に笑ってくれるというのが一番嬉しいね。
そうそう、笑う人と笑わない人には顔つきの違いもあるみたいですよ。たとえばジョン・ウェインやアラン・ドロン、そして私はあんまり笑わないでしょ。二枚目に大笑いは似合わないんだよね(笑)。

プロフィール

1947年生まれ、山梨県大月市出身。68年に三遊亭遊三に入門。前座名三遊亭遊吉、二ツ目で小遊三に改名。83年に真打昇進。現在、「笑点」レギュラー出演中。2001年芸術祭優秀賞受賞。趣味の卓球では、1966年山梨県卓球選手権優勝、近年では世界ベテラン卓球選手権大会出場など。1964年東京オリンピック(五輪)では聖火ランナーを務めており、2020年大会でも聖火ランナーとして故郷を走る予定であった(1年延期)。

2020年11月05日